▼てなわけで。二度目の劇場版ダブルオーを観てきました。
ヱヴァとかも二度観に行きたいとか思ってたけど結局行けなかったし、同じ映画を二回も観に行くってのはウチ的にはかなり珍しいことです。
で、やっぱり二回観て正解。今回は事前に、いろんな人のレビューを読んでいたのでチェックするところがわかりやすく細かいところも把握できてよかった。
では所感を。ツイッターのヴェーダのつぶやきや小説版も交えて。
ネタバレだとか思う人は即刻閉じるなりなんなりして早く映画観てきてください。
・初回では冒頭エウロパの侵食は何が起こったのかわからなかったけど、二度目ならわかりますね。二回目を見る、って言うのは話の流れをわかっているので伏線の回収がしやすくていい。
・OP、歌はこのとき初めて聴いたけど、まさにスルメ。聴けば聴くほど味が出てくる。まるで予想の付かない展開を不気味なビジュアルとともに盛り立てる、そういう意味でもいい曲。
・映画ソレスタルビーイング。何度観てもこれはひどいwそして何度見ても金ジムかっこいいww
MS戦のノリが全体的にSEED+スーパーロボットつーかぶっちゃけグレンラガンでしたね。ドリル出てくるんじゃないかと思いましたよ。
こんな映画に休憩コミで4時間弱も拘束される沙慈の気持ちは如何ほどか・・・。
公開前の監督コメントを聞いた沙慈は「切実過ぎる・・・」とか同情してたのに、観終わった後は「監督とか、廃業すればいい」とか呟くあたり相当である。
さらに追い討ちとして、ルイスがかなりノリノリで感想を期待してたところか。来場者に配られるカード貰えなかったって言ったら「なんですってー!」って怒るし。
ただそのやり取りからすると、ルイスは本当にかなり回復していたんでしょうね。
・コロニー公社での一件。いろいろ察しがいいシーリンさん。姫と刹那のすれ違いはもどかしいな。
個人的には男女というより家族的な絆だと思って二度目を観ましたが、ヴェーダの開示とか「クオリア」の歌詞とか読むと少なくとも姫はそういう範疇ではなかったのかな・・・。
刹那はどれくらいのレベルで周りの思念が読み取れるんでしょうね。無差別的に思念が入り込んでくるのか、強い志向性のある思念だけ感じれるのか。
いずれにしても、それまで人付き合いが上手とはいえない刹那にこういう能力が与えられても上手く言葉に出来ないってのは良くわかる気がするし、それがまたもどかしい。
・ホラー調の序盤。ガンダムでホラーってかなり異例だと思う。って言うか無かったよなw
それとはあんまり関係ないけど今回登場人物の目力がすごい。イノベイターはもちろん、フェルトとかの感情が大きく動くときの目力の強さがいい演出になってると思う。
んでハレルヤの身体能力マジすげぇ。ハルートの活躍といい、ハブラレルヤの汚名を一気に返上し最も面目躍如した人物だと思うw
・デュナメスリペア、変更点はドライヴ→コンデンサのみ?見逃したけど肩のベルトとかどうだったんだろ。もうさ、大体みんな今までのキット持ってるんだから、劇場版改造キット、ってのをひとまとめで出すべきだと思うんだ・・・。
・微笑みのリボンズマジキメェ。
・カタギリに馬乗りになるミーナの腰の動きが細かすぎて噴かずにはいられない。
・コラ沢は相変わらずで安心する。尻にしかれてるのかと思いきや、めちゃくちゃ自分のペースに巻き込んでますよね。准将といえど戦術予測しきれないほどなのかコラ沢・・・。
・ラファエルガンダム大活躍。ティエリア機がこういう混戦で一人大きな戦果を挙げて帰還するって初じゃまいか。さすが大天使の名を冠したガンダムだけのことはある。
・デカルトは不遇な人物だと思う。作品的にも、その立ち回り的にも。「これは味方殺しではない・・・!」のセリフ周りとかは小説で読むとわかりやすくていいすね。
パフォーマンス的なセリフかと思ってましたが、自分に言い聞かせて無理に納得させているのか。イノベイター覚醒前はそれなりに軍では楽しくやってたのかな。そして実直な軍人だったと。小熊とは実は議論を交わす仲だったとかだったら面白いんだけど、それは無いんだろうな。
・ラファエルの頭のアレ、見事にセラヴィーになりましたー。驚いたような驚かないような。ディテールよく観ればセラヴィーそのものだったけど。気にしないようにしてました。
ていうか背中の人がいないとセラヴィーってセラヴィーぽくないなぁとかなんとか。そしてあまりにも早いラファエルの退場。いや、活躍は十分脳裏に焼きついたけどねー・・・。
まぁ、その後の戦いにまで残っちゃったら、クアンタにヴェーダの情報端末積むとか言うことも無かったわけで、人類負け確定になっちゃうけどね。
・というか、ELSの圧倒的物量は別の意味で恐怖。これは最後まで続いた。散らしても散らしても襲ってくる。さらに捕まれたら最後、取り込まれて敵の味方になる。まるでゾンビです。
・後半の戦闘は速すぎて細かすぎて正直二度目でも良くわからなかったというのが正直なところ。でも観たいと思ったところは二回目は見えたんでまぁいいかな。
ぶっちゃけ、HJ誌で作例出てた部分が実際劇中で動いてたかどうかっつーところと、後はコクピットのディスプレイとかシザービットとか。そのあたり。
・小熊の最後、初回ではそうでもなかったんだけど二回目はかなりグッと来た。つーか挿入歌反則。
・グラハムは名言が迷言じゃなかったので終始カッコよすぎて戦死。
・クアンタムモードのパージは初回はよく把握してなかった。コンデンサがせり出したくらいしか把握してなかったけどよく見たら結構えらいことになってたのね。HG改造して再現したいなぁ・・・。
空間転移のとき、ゲートを本体が通ったあと、ソードビットが律儀に追ってゲートに吸い込まれていく様子がなんだか可愛かった。
・というかこのときの状況がまだよくつかめてないんだけど(小説もまだそこまで読んでない)、刹那はELSの母星に向かったぽいけど母星ってまだ超新星爆発には巻き込まれていない?
時系列ってどうなってるんだろう、母星に向かったってことはまだ健在なのか。てっきり、もう母星は巻き込まれて長い旅を続けてきたものかと思ったんだけど、ウィキペディア読んだらある程度得心した。
それに超新星爆発じゃなくて白色矮星の段階らしい。すいません、このあたりって単語は知ってるけどどういう状態でどういう風に発展するものなのか正直知りませんでした。
難しいなぁ、読み始めると面白いんだけど!
ウィキペディアの内容からするに、ELSの理解のスピードってすごい早いということになる。まぁ、物の模倣がほぼ一瞬に出来るってことはそういうことなんだろうけど、刹那との対話により人類が個を基調にした云々、それを理解してそれに適応するってそう簡単なものじゃないと思うんだ。
人類的な感情に左右されないから「より良い方に順応した」だけのことかも知れんけど。
・と、いろいろ思いをはせていい気分だったところ、Webラジオ最終回の「バナナ」発言で台無しになったでござる。
・ラストのクアンタの背部にあったのってソードビットじゃなくてELSの花を模した形状になってたように見えますね。
デザイナーがわざわざ最終バージョンをデザインしてたらしいけど一瞬で花に覆われてさっぱりわからないとか嘆いてましたから、やはりただのソードビットじゃないんでしょうなぁ。
・そして姫まさかの姿。刹那も足音ガシャンガシャン。不憫といえば不憫だけど、やっとめぐりあい手をとり抱擁を交わせるようになったのは本当によかったです。お互いをどういう存在に見てたかなんてどうでもいいくらいに。
ただ、最後の刹那は姫を「君」って呼んでたんだよね。そこが気になるって言えば気になる。
・そしてフェルトだけまた可哀想で何とかフォローしてあげてくださいスタッフ様。
▼といったところで劇場版ダブルオー感想終わり。
見当違いなことをつらつら書いてて、そんなこと初回でわからなかったの?とか思われてそうですが正直そのとおりです。二度見ても多分認識の違い、理解してないところはあると思います。
まぁ、それもヒトだと思うので寛容に接していただけると幸い至極。
劇場版公開の数日前、深夜ですがTV版1stシーズンの総集編がやってたので観たんです。
ここでエクシアの初トランザムシーンが「こんなにカッコよかったっけ??」ってくらいカッコよかったんでついつい買って作っちゃいました。
もう何体目かっていうエクシアですが、不思議と苦になりません。素性がいいからなんでしょうかねー。
GNソードとかの色分けが微妙なんでそこまで作ろうと思うと面倒なんですが(ぇ
頭部や太もものベルト部分はホログラムシールではなくてメタルのラインテープを使ってみました。
シルバーしかないのでクリアーレッドで塗装。
発光感が出て見た目は結構よくなった気がしますが写真ではあまり良くわかりません。
そんなわけでトランザムエクシアでした。
▼小説MGS4読了。
ふと思い立って、ゲームをビックボス・ハードでプレイしクリアした後から読み始めたので、ストーリーの補完がしやすかったです。
ノベライズというと、どこか淡々としていたり、どこか鼻につくアレンジがあったり、とあまり手放しで楽しめそうにないという先入観があったんですが、そういったことは無かったです。
ゲームの大筋はそのままですが、B&B部隊を完全に排しているのでそれによって生じる矛盾を丁寧なアレンジでまとめていました。
ウチの感性では気づけなかったゲーム上の演出の数々、伊藤計劃さんの視点によるとこうも生き生きと意味をもった演出だったのか、と改めて思います。
とにかく、物語は「老いと戦うスネーク」が中心です。走ればすぐ息が上がり、跳べば腰がグキリと鳴る。手渡された資料を読むにも近視が進んでいてぼやけてはっきり見えない。
メリルから渡された写真を、ゲーム中主観で見ることが出来ますが、なぜかぼんやりとした映像でしか見ることが出来ません。
我々には、「スネークは年老いてるとは言っても、あんなに正確に射撃を行えるし、腰を叩けどいくらでも走ることが出来る。老いてもヒーローなのだ」という、そこまで遊んでいて感じる先入観がある。
腰を叩くのはパフォーマンスだと。それは笑うところだと。
だから、ぼやけた写真は意図的に写っている人物の正体をわかりづらくしているだけのものだと思っていました。
ですが、小説ではありのままの老いたスネークを伝えてくる。
あのときのスネークは、近視でどんなに目を細めてもあれ以上は見えなかったのだと。
現実感を伴わないナオミの「常人ならもう立っていることすら難しい」との診断。まさにその状態を現実のものだと訴えてくるのです。
そして、物語はオタコンの視点で語られている。スネークをより身近でもっとも長い付き合いをした人物の視点として。
それはすなわちプレイヤーの視点である。
スネークをこれ以上戦わせることにためらいを覚え、なぜそうまでして戦うのだと問うオタコン。
ゲーム中ではそこまでスネークが疲弊しているとはわかりにくいから(オタコンに言わせれば、やせ我慢しているから)そこまではわからないけれど、小説を読んでいるとオタコンの気持ちになってくる。
なぜそこまでして戦うのだと。
それでもスネークは戦うのだ。
こういった表現が実に巧みで、本当にスネークたちのことを理解しきっているからこそ、監督に認められる第一のファンだからこそ、この作品が生まれたんだなぁと思います。
MGS4をプレイされた方や、MGSファンの方には間違いなくお勧めできる一冊です。
作中、スネークは確かな最後を迎えます。
ゲームでは語られなかったその最後。
戦うために生み出され、戦いの中に生を見出し、戦うことしか知らないといいつつも外の娯楽に常にあこがれていた男。
戦いの果てに、銃を置いて別の余生を探せと因縁の父親に告げられたその後。
それが心穏やかであったことが何よりの救いだったと、ウチは思います。
そしてこれにてソリッド・スネークの物語は真に完結。
メタルギアサーガの”次”はどこへ向かうのでしょうか。とても楽しみです。
▼監督のRT攻勢の罠にとっぷり浸かって聴きたくなったMGS PW「平和と和平のブルース」。
スネークこと大塚さんの「昭和ブルース」がやたら渋かったり、カズがだいぶヘタレだったり(笑)、ドラマは渋い、笑えるとMGSのいいところを凝縮したような内容で実に楽しめました。
で。
そのついでに、買っちゃったのがこれ。
壽屋のゼクティ・イヴ。やー。あのね。春先だったか夏ごろだったか、アマゾンで半額くらいのセールだったのね。
見た目とかいろいろ、ゲームは知らないけど好みだったんで欲しいなーとか思いつつ、でもそのときはいろいろ設備投資とかで余裕がないと思ってたんで優柔不断してたらセール終わってて。
まぁ仕方ないよな、と思って忘れてたんですが。
設備投資の話が破談になって、仕事もなんだかいろいろ忙しくてなんだかんだでヤケになってたら、また半額近くまで値を下げてる。
んでもう勢いで。
非常によい出来のものですし、満足してます。ただ、得物だけが妙にでかくて場所を選ぶことですかね・・・今日何とかスペース作って飾りました・・・。
それにしても生体兵器をエロ可愛くするって言うのは変態だな!まったくもってけしからん!けしからんのでもっとやって良いとす。
ただ良いことばかりでもなくて。
そのスペース作りのためにいろいろ片づけをしていたんですが、その最中にデモンベインのメタトロンが突然倒れまして。
見たら足に差し込む台座の凸ダボがポッキリと・・・orz
フィギュア本体にはダメージは無かったんですが・・・台座とはいえショックです・・・。
台座は一応ありあわせの道具で処置。持っててよかったピンバイスと真鍮棒。
さておき、こういう台座のダボは自重を支えられるようには出来ていないということを肝に銘じることにします・・・。
▼久々モもレで今日はおしまい。
> あー……雲の向こうにラピュタがいそうだなぁ……
いいよねぇ、いたら行きたいよねぇ・・・竜の巣で力尽きて落っこちるのが関の山ですが。
▼さて、いろいろ保留していたものは大体片付けたのでいよいよ原稿をまじめに始めないと!
と思ったら今週末は呑み会だそうです(´・ω・`)
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