過去のボヤキ -Apl.2011-

それでも桜は咲いている
毎年恒例ですん(´ω`)

▼気がつけば4月ももう終わろうとしてます。早いですね・・・。
今年ってもうずっとこんな感じなんでしょうか。それじゃダメだな、何とかして変えないと。とは思うんですが。
と、5月に入ったら夏コミ準備を始めようと思う。今度こそ網サンの講義・・・じゃないサキのお話を〆ないと。
次のステージに行きたいんだぜ。
あと、立ち上げた企画もちゃんと責任もって進めないとね・・・思うんだ、思ってるんだ。でも最近それがストレスにしかなってないんだ・・・すまない・・・。

▼部屋の片付けは大体めどが立ってほぼ元通り・・・かな。
久々に布団を干したら敷布団カバーがぼろぼろになってました・・・いろいろ宜しくない状況になってました。
まぁ、元凶としては、ここに住み着いて一年か二年くらいのときのカビ事件で被害こうむった布団をまだ使ってるのが限界近くきてるような。
一応ちゃんと後処理はしたんですが、単純に時間経過もあいまった劣化には勝てなかったというか・・・。
布団を含めて新調したいけどそんな余裕はないなぁ。とりあえず今度布団カバーを見繕ってこないと。

▼どなただったか、著名な方のツイッタでのちょっとした問答が素晴らしいと思ったんですよ。
「○○するのってハードル高すぎません?」
「ハードルは倒しても失格にはなりません」
そりゃ飛べるに越したことはないけど高いハードルにチャレンジするのは大事だよね。

▼ちょこちょことアイテムは買ってるんですよね。
・リボルテックジェフティ、面白いです。早くアヌビスとかネイトとかビックバイパーが欲しいですよ!
・復興第一弾プラモとしてハードグラフ版コアファイターを作りました。でけぇ。1/72F-14トムキャットとほぼ同じサイズとかありえない。
・月末か月頭には、konozamaなければfigmaのKOS-MOSが届くはず・・・このあとT-elosも出てくれるんですよね?ね?

▼うーん、やっぱりネタが出涸らしみたいでスッキリしないです・・・もっとこう、ネタを貪欲に収集しないと・・・。
今回はこの辺でモもレしておやすみなさいです。
> やっぱり空が青いと桜の薄桃色が映えますねー。この時期だけの楽しみ。
> そういえば桜って紅葉シーズンにも見事に燃えるんですが、秋にも来たい道ですね。
> 部屋の地震対策がんばってくだちぃ。
もうこの日の天気は絶好すぎましたね。ウチの今までの経験で一番桜が綺麗だと感じました。
つらいことのあとだったから尚更そう感じたのかもしれませんが。空は青い、桜は花盛り、でも風ではらはらと花びらが散る。
ウチのお気に入りスポットは平日ならほとんど人が居ない、ってのもポイントです。思う存分桜を愛でられるのですよ。

秋には行ったことがないので、今年は行ってみようかな。

> 某所、mixiの活動が減っている昨今、ここだけが楽しみです。がんばってください。
「申し訳ございません!!」(HOTEL風に)
マルチタスクが出来ない人間なんですよ・・・一所に安住の地を見出してしまうとそこに入り浸ってしまうんです・・・。
ここはウチにとって最後の砦なんでなんとしても死守するつもりでありますが、ここのところ「休みの日に更新」が守れてなくて説得力がないですよね。ギャフン。
頑張ります。


2011年4月28日(木)/00時43分のぼやき。

謳は胸を溢れて 地に渓に湖に満てる
作中とは異なる表情ですが。復興とメタファリカ実現を照らし合わせて。どうか安心して、信じて共に歩んでいこうと謳うなら、そんな笑顔がいいと思った。

▼地震日記。地震の翌日からですね。
ニュースの交通情報から、都営線が動いていることが掴めたのでそちらから出勤。
大体いつもの時間で到着。というのは自分のツイッターのログで把握したんだけど、その後どう働いたか覚えてない。
残業しないで退社したらしい。それで、百均でバケツを買い込む。とにかく床に散らばったカケラを拾い集めないといけなかったので。

帰りながらツイッターのTLを眺めていると、「ヤシマ作戦」(http://yashima.me/about.html)を提唱している方がいた。
ヤシマ作戦といえばご存知「エヴァ」作中の大作戦。日本中の電気を集め(その間、一般家庭などの電気は全て停電)、陽電子砲の電源として用いて敵である使徒を撃滅せしめるという作戦でしたが、電力不足による停電を防ぐために自分たちで節電し大規模停電を未然に防ごうというもの(と把握してる)。
これは粋な試みだと思った。非公式(エヴァ版元からの許諾は当時まだ取れてなかった)とのことでしたが、これは追々許諾は出るだろうと思ってましたし。
こういう企画が出る、そしてそれを実行していけるのがオタの、オタ文化のすごいところだと思います。
正直なところ、その日の夜から少しずつ片づけをしたいところではありましたが、疲れもありましたし、寝る場所をちゃんと確保するだけの片づけをして電気を消し、寝ました。

3/13は公休日。一日、片づけを何とかすることにする。
ベランダに出る通路を確保し、ひっくり返っているディスプレイをとりあえずPCデスクに持ち上げる。
でも載せただけ。その周りにはまだたくさんのカケラが散乱している。これを片付けて、ある程度の耐震を考えながら設置しなければならない。
この日辺りから、さまざまな支援の声をTL上で見るようになる。TMRの西川さんやスラダンの井上先生、GACKTさんたちの半端ない行動力に勇気付けられる毎日。
この人たちがいるなら大丈夫だ・・・!とか。仙道が出てきた海南並にガチな安心感。でもそれに乗っかるだけじゃダメだと思った。
自分には自分の出来ることがある。それを全うすることで、少なからず誰かの助けになるんじゃないかと思うことで、仕事に対するモチベーションを回復させた。
自分たちが画材や文具をしっかり売ることで、これを元に被災者を励ます絵を描いたり、被害や復興のレポートを書いてくれる人がいるかもしれない。
そしてこれはつい先日のことだが、ボランティアとして子供たちにノートや鉛筆を送りたい、そういう声があり、それをお店に買い求めに来る案件が何度かあった。
自分たちが商売を再開していなければ、これらを確保することはさらに困難になっていたんではないかと思う。
これが自分に出来ることだと再認識した。

そして、片づけをしながら、音楽が欲しくなった。
いつの間にか口ずさんでいた。
それが「アルトネリコ2」のヒュムノス(楽曲)、method_METAFALICA/.とmethod_IMPLANTA/.でした。
多分ごちゃ混ぜに口ずさんでたと思います。

てなわけで。今回の絵はその二曲をイメージ。
もっとも、作品中ではもっと深刻な状況下で謳っているので笑顔ではありませんけども。
詩そのものも、未完成の物語ゆえハッピーエンドというわけではありません。
ですが、作中IMPLANTAは絶体絶命な局面でのリカバリに、METAFALICAは自らの覚悟を示すために謳われます。
そんなことから、困難な状況から立ち上がろうとするときに力をくれる楽曲じゃないかなーと。ついこの歌を口ずさんだ理由付けにしようかなとか何とか。


部屋の片付けもそこそこに(余震がきたらまた崩れるだろうし)して二日ぶりに垢を落とす。これが非常に気持ちが良い。
いろいろ順番はあれど、被災地にはまず風呂を用意してあげて欲しいと思った。
そのためにはもちろん水や着替えの衣服、火が必要だけど。風呂に入るだけでかなり脳が楽になると思う。


翌日からは遅番だったので遅い時間の出勤。輪番停電とかでだいぶパニックだったようですが、ウチが出た時間はそれほどでもなかった。
この日は確か、有楽町線で永田町まで出て、そこから丸の内線に乗り換える方法で行ったと思う。
・・・永田町での乗り換えは罠です・・・あそこは路線図でも繋がらないようにしたほうがいいよ・・・普通に一駅分くらい歩いたよ・・・。
で、まぁ大体予定時刻に到着。また百均でバケツを購入。
職場はまだ開いてませんでした。どうするか検討中とのこと。
遅番は帰っていいよとか今更言われてもね。正確には永田町乗換えのタイミング辺りで「無理に来なくてもいいですよ」とフロア長からは言われてたけども。バケツも買いたかったしね。
んで、一応お昼から夕方まで開けるということで働いて帰る。
翌日からも店は開けるとのこと。従業員からはブーイングなんだが、ウチは昨日の段階で気持ちが変わってたので別段問題ない。
働かなければ生活は出来ない。
経済を動かせる人が動かさなければ止まってしまう。
そういう考えがありましたから。

夕方の帰路だったのにもかかわらずものすごく暗い街中。
異様な雰囲気。
この頃の自分はまだ東電信じてたんだなー(ぇ
いや、現地で頑張ってる皆さんは信じてます。でもテレビに出てくる方たちは今はまったく信じてません。
信じていないというか、聞く耳を持たなくなったというか。
今はただ、早く収束して欲しいと願うばかり。


ウチの地域は何度か計画停電の範囲に含まれてたはずなんだけど、結果的には一度も停電してませんでした。
というのも、停電すると時計の表示が点滅する機器が一個ありましてね。都合上これは待機状態にしてたんですが、これが点滅したことがなかったんで。
おかしいなぁ。微妙にエリアからはじかれてたりとかするんだろうか。


▼さて、地震の記録はこの辺までにしておきましょう。
もっと明るい話題で。


桜!

今年も行ってきましたよ、一人でですが!


ウチが行ける近所のお花見スポットとして最大は光が丘公園ですが、要自転車なんで。
今回は歩いていきたかったのと。一番のお気に入りスポットということで。こちらに行ったのですよ。


場所は秘密(ぉ
いや、過去の日記で言ってるかもしれませぬが。平日ならほとんど人通りもなくて(今年が特別・・・ってこともないとは思いますが)、じっくり愛でるには最適な場所です。


ウチはこういう、幹の途中から顔を覗かせる房が大好きだったりします。


それでは、しばし観覧を。






水鳥も。


なんてーか、新海誠さんの魔法をかけて欲しくなるような。


桜に埋もれた蒲公英。




桜。


再び蒲公英。


ここまでがいわば前哨戦。これからが本番・・・


なんですよ、と。


ほんの数十メートルの桜のトンネル。ここが一番のお気に入りなんです。
本当は道の真ん中を歩いてトンネルを満喫したいんですが・・・
まぁ道交法的に危険なんでしませんけど。
てか、車の通り自体は少ないんですが、休憩中のトラックがいつ動き出すかわからんというのもあって。そういう写真は撮ってませんあしからず。


八重桜も咲き始めてました。
これは開き始めてるほうの樹。他はまだつぼみでしたが、そのつぼみは真っ赤に色づいていて、更なる満開の時を想起させずにはいられません。


何の変哲もない風景。
でもこのふっと気づいたフレームに、これから先の明るい希望を夢想したくてカメラに収めた。
雲ひとつない空。困難な上り階段。
でも一歩一歩、確かに踏み越えていけば。その先には。







・・・おいしいラーメンが(黙れ



そんなわけで2011年の桜紀行でした。




▼さて、モもレです。
> あーー、、、片づけマジお疲れでした。こりゃすごいねw
どもです。片付けもようやく普段の生活が出来るくらいにはなってきました。
後はダンボール一箱分の、どこから出てきたかわからないような黒歴史をどう仕舞い込むかです。
建物そのものへの被害がなかったのが幸いしましたね。ディスプレイの転がる方向によっては窓ガラス割ってたかも知れないので・・・。
ガスも止まりましたが、元栓が安全装置で止まっただけでしたし。

そんなわけで、ご心配をおかけしました。
絵を描く頻度も原稿も、そろそろ元のペースに戻していきたいと思ってます。
そしてみんなで頑張っていきまっしょい。


2011年4月21日(木)/00時57分のぼやき。

Pray for Japan and ...
まだお礼を言うには早いかもしれない。でも、言わずにはいられない。「ありがとう」と。

▼そろそろひとつき経とうとしています。早いものですね・・・。
世界中のたくさんの人たちが支援の手を差し伸べてくれています。その善意を無碍にしないためにも国内であーだーこーだ言ってる場合じゃないとは思うんですが、それにしても非道いなぁ・・・。
とまれ、絵が描ける一人の人として、何か描けないかと悶々としててようやく形にできたのがこれ。
前回の絵もその一つですが、前回はリハビリかねてたというかなんと言うか。地震の後、ホントに絵が描けてなかったんで・・・。

▼とりあえず、記録を残しておきたいので思い出しながら当日のことから書きます。
本当の被災地の方に比べれば、お前騒ぎすぎ、って言われる程度だと思いますが。

▼地震は職場で遭いました。
3階の休憩室で座って休んでいたんですが、なんか揺れを感じて、まぁすぐ治まるだろうと思ってたらなかなか止まらない上に揺れが強くなってくる!
休憩室にいた同僚も少しあわててきたので取り急ぎテーブルの下に避難。机の脚を掴むもそれと一緒に揺られる。
地震体験車とかの映像と同じように大きく揺すられる体験を初めてしました。
そんな中でもツイッターに「やばいやばい」とか投稿してる自分は大概おかしい(

揺れが収まって、とりあえず避難するのか?と思いつつ、まずは客の誘導が先かと、1階に降りて(階段が暗くなってて少し焦り)お客さんを誘導。
というか、とても買い物と化してる状況じゃないはずなのに普通にレジに並んでるとかどんだけとか正直思いましたが(

お客さんを避難先に案内して店は閉店。被害の酷かったフロアの片づけをして解散に。
テレビを見ながらの解散でしたが、そのときはあまり衝撃を理解してなかった。
電車は完全に止まってるし、職場に泊まってもよいという指示はありましたが、明日朝までに所沢方面にどうしても帰らねばならない同僚がいたので、「4,5時間歩くけどウチ来る?」ということで徒歩で帰宅することに。
ウチも部屋の状況が気が気ではなかったので。
道路は同じように徒歩で帰る人たちでいっぱい。
とはいえ、みんな方向は同じなので詰まって歩けないということは無かったです。
荒川線は動いてるや、とか自転車屋にすごい列が出来てる、とかいろいろ状況を見ながら歩く。
途中、外壁にひびが入ったり剥がれ落ちてる建物があって、揺れの大きさにだんだんと実感が。
地元の駅に着いてから、ファミレスで食事をと思ったけど、満席。ミスドでドーナツをいくつか買って、バスに乗り込んで帰宅。
部屋を開けて、絶句。


そして笑った。笑うしかなかった。
画面下にある黒いの、スピーカーなんですけど。これ、画面右上の棚の上にあったんですよ。
間に一メートル近い幅があるのに何で部屋の中央のテーブルに載ってんの、と。
テーブルがずれて近づいたところに落ちたのか、一度下に落ちてバウンドして載ったのか、いずれにしても恐ろしい地震のパワーです。


バウンドした説の有力な証拠。スピーカーの直下あたりに置いといたプラ板で作ったケースが見事につぶれてました。中身ごと。・゚・(ノД`)・゚・。

でもそんな笑いも、テレビで見た津波の映像で絶句。
インド洋の津波のときもかなりの衝撃でしたが、正直あの時はまだ対岸の火事だと思ってるところがあった。
なんかもう、食べるものも食べられなくて、とりあえず横になれるスペースだけを作って寝ました。

翌朝、同僚を送り出して、ウチは少しボーっとしてから・・・ええと、職場にいったんだと思うんですが、なんかこの日の記憶があいまいですね・・・。
何かツイートしてると思うので、ちょっとまとめて続きを書きたいと思います。


▼備忘録。次に描きたいのはmethod_METAFALICA/.、あるいはmethod_IMPLANTA/.。
部屋の状況やらいろんな状況を何とかしないと、と思ったときに心が音楽を求め、自然と口ずさんでたのがこのどちらか、あるいは両方の詩だったと思う。
そんなわけで。クローシェ様を描きたくなった、ってのもあるんだけどなw


▼モもレは今回はちょっとコメントは差し控えます。すいません。


2011年4月7日(木)/01時30分のぼやき。


戻りまつ。