▼今月ももう終わりに近づいてほとんど更新できていなかったんですが、実はそれなりにお出かけしてました。
それがちょっとスケジュール的に集中しちゃいまして、そのせいか風邪引いちゃったりして満足に更新できてない状況です言い訳ですはいすいません。
で、その内容。
・映画「パラノーマン ブライス・ホローの謎」をギリギリ観に行けた
・映画のあとミュシャ展を鑑賞
・三浦半島に小旅行
▼「パラノーマン」はツイッターで、ガンダムXの監督やZ.O.Eの製作に携わっておられた西村誠芳氏の熱烈なアピールに感化されて(被害者だなんてとんでもないですよ!w)、なんとしても公開中に観に行きたいと思った、ウチでも珍しい経緯の作品です。
「シュガー・ラッシュ」とほぼ同時の上映開始で、そちらも観に行きたいと思ってはいたのですが、何しろ「パラノーマン」はほとんど認知されてなかったらしく、初週でもガラガラ、動員数も3桁だったとか・・・。
それで早々に二週間で上映終了となってしまうとのことで、こりゃあなんとしても、という火がついたのです。
それでその二週目の水曜になんとか都合付けて朝一の回(なんと二週目にして上映が日に一回!)を観にいくことができたのです。
館内は・・・平日とはいえ・・・やはり悲しいほどに少ない観客数。
まぁ、おかげで、上映30分前でも堂々と真ん中の席を取ることができたんですけどね。
何気に、個人的に初めての3D上映作品でした。思えば、初めての作品がこれでよかった!
アバターとか観てないんですが、本当に登場人物たちの動きが生き生きとして見えて、この映画にこそ3Dだな、と思いましたよ。
この映画はストップ・モーション・アニメという手法で撮られた作品です。
ご周知の通り、これは人形やカメラを一コマ一コマ少しずつ動かして、それを一コマずつ撮影して繋いでアニメーションさせるという手法です。
恐ろしく手間のかかる手法です。CG全盛の時代、なぜ今こんな手法で作るのか?って正直、西村氏のRTしてくるいろんな方の感想やメイキングを観るまでは魅力を感じませんでした。
でも、メイキングでテーブル上で組み立てられ、人の手が離れたところで一人ですっくと立ち上がり、フレームの外まで歩いていくノーマンの映像を観て、何だこりゃ!と。
想像してたクヲリティとまるで違う!CGじゃないのか?と勘ぐるほど。
実に表現豊かな可動をする人形素体と、なんと3Dプリンタを駆使して作られた無数の表情パーツを組み替えて、主人公ノーマンだけで150万通りもの表情を作り出せるという。
150万!92分映画で映画は一秒24コマとして、92x60x24=13万2480コマ。
明らかにコマ数より多くの表情が出来るってことは多分おそらくひとつとして同じ表情のコマはないんだろうなとか思ってしまう。
それほどまでに人物の顔が自然に表情豊かにころころ変わる。まるでCG、という錯覚のひとつはこれによるところが大きいと思う。
人物だけではなく、背景の小物が細部にいたるまで非常にこだわって作られている。
もう本当に、製作者達そのものがFreaks!(ほめ言葉)と言わざるを得ないw
だからこそ、自分は自分で変わる必要なんてなくて、その上で自分の居場所を見つけたノーマンは彼らの投影なんじゃないかなと思ったりする。
とにもかくにも、立体としてそこにある物体がCG以上の滑らかな動きで人間には出来ないアニメのようなデフォルメされた演技をこなす、「手間隙が尋常じゃないレベルでかかる」こと以外、アニメーションとしては最高の手法なんじゃないかと思い知らされたわけです。
相手を理解するということ。
ノーマンのよき理解者となるニールは、それにすごく長けた人物だった。
自分の短所を理解し、把握し、また相手の長所短所も理解して、いじめにも飄々と対応してみせる。
それが小学生として良いか悪いかはわからないけど、自分は自分だと強く生きてる姿に素直に感嘆した。
小学生のとき、自分もこのように達観できていたら、いじめられて(今思えば、「いじめ」られてるのではなく「いじ」られてるだけだったと思うけど)心を痛めることもなかったのかな、と思ったりする。
ストーリーについては、これ以上は自分は正しい解釈ができてない気がするので書かないことにします。
(ホラーとして)怖い作品ではない、って知人には説明したけど、でもいろんな感想を読んでいるうちに、ストーリーに内包された怖さを思い知りました。人間こそが最高のホラーかもしれない。
と、いうわけでつらつら書いてきましたが、「パラノーマン」は個人的にも大変おすすめの作品です。
もう上映終わっちゃってますけどね。ソフト、国内版が出るかは微妙・・・ウチより先に観ていた人たちは米アマゾンから取り寄せたりしてるみたいですけど。
映像いついてはもう書いたとおり、物語は一応子供向けなのでシンプル・・・ですが、そこに見え隠れしているのは人間の本質にも迫る暗い深い部分。
コミカルで思わず噴出してしまうコメディもあったり、後半、とある森に向かうところ辺りからはなんか自然と目から汗がブワッときてしまったり。
極上のエンターテイメントになっているんです。何でこんなに不遇なのかが疑問なくらい。
なんとか手に入ったら皆で上映会とかしたいですね。仲間内では誰も観ていないんで・・・。
▼続いてミュシャ展。
「パラノーマン」が六本木のTOHOシネマズで、今回のミュシャ展は森美術館だったんで、スケジュールをあわせて行きました。
前の都美術館でやってたのが2005年だから8年ぶりですね。
前回はあまり前知識とかなくて、「ミュシャの絵が好きなんで観に行こう」って感じだったんですが、前回買ったカタログとか色々読んである程度の知識を得てはいたので、今回のテーマ分けはわかりやすかったですね。
前回にはなかった作品も多数展示されてましたので、見ごたえは十分あるかと思います。
ミュシャといえば女優サラ・ベルナールのポスター、あるいは連作の4枚シリーズを思い浮かべる方も多いかと思いますが、大判のサラのポスターが何枚も並べて展示してあるのは壮観でした。
1900年版の「四季」も見ごたえ十分。ヴィクトリア女王在位60周年のネスレ社のポスターやかなり大きな油彩もあり。
そういった華やかないわゆるミュシャ調を象徴するコーナーから、次第にチェコ人であり祖国を大切に思うミュシャの作品群のコーナーに。
晩年に完成させたスラヴ叙事詩については広くコーナーを作ってましたし、チェコの民族衣装を着た娘さんを描いた絵が、本物の民族衣装とともに展示されていました。
幻想的で華やかな絵の奥にある繊細で写実的な部分が、こちらでは力強くカンバスに表されているような。そんな迫力があります。
商業的な、華やかでセンセーショナルで、誰もが知っているミュシャの絵たちと、魂の叫びのような、故郷への想いが凝縮されたような、前者を好んで感化されてきただけでは知りえないような、力強いタッチのミュシャの絵たち。
ミュシャの多様な面が観れる良い展示だったと思います。
ミュシャの祖国への想いは平和への祈り。
展示の最後に飾られた絵の、まっすぐに見つめる目とそのタイトルに痺れました。「宿命-Fate-」
その先の出口の、そのもっと先の未来をも見据えて。宿命と立ち向かい、平和を勝ち得んとする強さを、その眼差しに見出したのでした。
今回の図録。表紙を飾るのは1897年の「夢想」。
グッズはこの二つを買ってきました。
栞ばっかりですが実用性で・・・って使わないと思うけど多分w
まぁ、連作をモチーフにしたグッズが欲しかったし、ジスモンダを模った金メッキ栞はとても美しくて気に入ってます。
ミュシャのポスターや連作は縦長レイアウトが多いから栞とは相性いいのかもしれませんねー。
今回描いた(描いてる)絵は連作「四季(1900年版)」モチーフにしてますが、同じように連作の予定です。
これも栞にしたら欲しい人いますかねぇ?
▼さて続いては小旅行の話です。
大学時代の仲間で、例年は学校の学園祭のある11月ごろに毎年やってたんですが、昨年はもう学園祭もなくなって(学校の学部自体がなくなるってことで)何もしなかったのがズルズルきてこの時期になったわけですが。
今回は三浦半島の旅。さぁ、ダラダラ行ってみましょう。
・・・のつもりがごめんなさい時間切れです。
ミュシャ模写連作をあずささんから描き始めたのもこの回で三浦半島行ってきたんですよーってところにかけるつもりだったのに・・・次回こうご期待。しなくていいです←
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